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日記という名の独り言。

日記といいつつ、あったことや思ったことを適当に書いていきます。

自己選択権

死ぬということは

「もう少しでも一緒にいたい」「自然死でなければならない」「生きるもんだ」

安楽死という生死に関わるこの問題にあって、この議論の場にモラルやマナーという言葉を持ち出すのは何故なのだろう。確かに人間は自分勝手に思考する生き物だ。死にたいと思っている人でも、大切な人だから一緒にいたい。そんな人もいるだろう。

ある番組で、安楽死とか育休だとかそういうことについて議論する番組があって、まあぼくはその番組の安楽死の部分以降しか見ていないのだけれど、見て思ったのがまぁくだらねぇ、と。この人たちは、なんとまぁ中身のない議論をしているのだろうか。

安楽死、とはつまり、末期患者の延命治療をとめる、薬剤投与による死をもたらすことを言う。

これはつまり、自殺だ。問題なのは、これに人権だとか生きるべきだとかモラル、マナーだの自殺はいけないだの持ち出す人がいることだ。

ぼくは安楽死肯定派でも否定派でもない。強いて言うなら無関心だ。ぼくは死ぬなら延命はして欲しくないが、まぁこれは今はどうでもいいだろう。
なぜ無関心かというと、つまり他人は他人でしかないからであって、その人が死にたいと思うならそうさせればいいし、周りの人が反対するならしなければいい。それはその人の問題だ。要約すると、あなたの都合にぼくを巻き込まないでくれ、ということ。
ぼくはいまのところ無神論者で、好きな人も死んで欲しくない人もいないので、こう言っているわけだ。

出演者である某夫人曰く「神に与えられた命は自分で断つのはすごい罪」。このお方にはこのお方の考えがあるので何も言わないが、だからなんなのだろう。だったら、その神を末期患者のように管と機械につなぎ、同じ痛みと苦しみを与え、あと半年であなたは死ぬよ、死ぬって言うのはこういうことだよ、でもまぁあなたならわかるよね。もちろん蘇生なんてしないし、どこに行くかもわからない。ぼくならそれを止めることも出来るし最後まで生きることもできる。どうする?と聞いてみよう。

正直に言うとどっちでもいいし、どうでもいいのだけれど、この議論はたしかに重要なことで、その人の意志を尊重しなければならないと思う。

では、ここに自殺はいけないという観念を持ち出していいのだろうか。答えは否だ。あなたの人生は、あなたが決めるのだから。

自殺という単語には、とかくくらい意味を伴うことが多い。首吊り拳銃飛び降り窒息etc...。とにかく、自殺、もっというと自傷行為はいけないことなのだ、という観念があるのは人として間違ってはいないのだろう。
では、疑問。
誰かが死に行くその時に、あと一年生きられる治療法があったとしよう。誰かは死を選び、誰かは生きる方を選んだ。
生きた方は、死を選んだ方を自殺だと喚く。なぜか?わたしはあと一年生きることが出来る。なのに死ぬのは自殺で命を捨てているからダメだ。
馬鹿なんじゃなかろうか。

選択というのはその人がするもので、他人ができるのはそれを見守ることと多少言葉をかけるだけ。子供の頃は親がやっていることを大きくなるにつれ学ぶのだ。そして、老いていくにつれそれは子供に任せられる。でもぼくは、最期は自分で選びたい。

死。そこに介在する意志は人権や他人、法律といったものに強制されてはならない。それが、殺人なら裁かれるべきで、事故死なら天命で、病死なら選択によるものであって欲しい。

生き死にも選んでもらわなければいけないのか?他人におれの人生を選び、評価し、修正してもらわなければいけないのか?そんな人生、クソくらえだ。