ぐちぐち
タイトルが
独り言なので、ちょっと耐えられなさそうな時は愚痴を言おうかなと思う。
ぼくはとあるスポーツをやっていて、今日その大会があったのだけれども、まぁ負けたわけだ。もちろん悔しくないわけがないけれど、自分はやりきった、とは思う。それで勝てなかったのだから、まだまだ精進が必要だということなのだろう。
問題は
今回の大会でぼくたちのベンチに入っていたコーチが三人いるのだけれども、試合が終わったあと、本当にメンタルブレイクしたぼくにとっては辛かった。
一つに、これはほかの人にも言えるのだけれど、なぜ放っておいてくれないのか。本当に、心からそう思う。同情も、哀れみも、励ましも必要ない。ただ、一人にしてほしい。ぼくはその無言のオーラを出しているつもりだから、本当に話しかけてくる人には邪険になったりする。だから、家に帰って夕食を食べている時、試合を見ていた、というかコーチとしてベンチに入っていた兄がそういったことを一切言わないでくれていたことが本当に、本当にありがたかった。
二つ目に、これはぼくがまだ高校生であるということも関係しているかもしれないのだけれど、ぼくの考えていることをどうわかるというんだ、という気持ち。
「勝ちたくないのか?全然見てて感じない」
とか、
「悔しくないのか?悔しそうには見えない」
とかいう人がいるのだけれど、心からそう言っているのだったらその人とはもう二度と関わりたくないと思う。
勝ちたくなかったら試合に出るわけがない。悔しくなかったら落ち込んだり悔し泣きなんかしたりしない。あまつさえ、
「強くなりたいんだったら練習しろ」
と言う。ふざけてるのか、と思う。じつは、負けたチームは敗者リーグみたいな所で大会が終わるまで延々と試合をする。その日の夜から出るか、明日から出るかを選べといわれ、出ないと言った時の反応。あれほど殺意が湧いた瞬間もそう無いと思う。ぼくは、今日やっても意味が無いと、選べと言われ選択した結果を言った。それが気に食わないのなら、無理やりさせればいい。無理やりならやるだろう。
文字に書き起す
こうやって文字に書くだけで、だいぶ楽になってきた。とはいえ、今度は全く別の自己嫌悪に陥ってきた自覚がある。
本当にぼくは集団行動が出来ない。
負けたその日に練習しない。弱いのに?と言われたけれど、それがどうした。選べとあんたが言ったんだ。
悔しくないのか?と言われた。それがどうした。ぼくが考えていることなど、あんたには一生わかるまい。
そうずっと考えていた。
他人に合わせられない。絶望的なまでに空気が読めない、何をやりたいか、何を言いたいかが察せない。こんな所で一人誰も読まないかもしれない、誰も読まないであろう文字を書いている。超自己中心的。行動原理は自分のため、他人にしているのは自分が怒られたり責任を負いたくないから。おだてられてもけなされても哀れまれても同情されても、なんとも思わない。ただ、放っておいてほしい。一人でいたい。
どうして、こんな自分が生まれたのだろう。絶対的に社会に馴染めない排他的人格者。なんのために生きるのだろう、自分のためだ。
だから、他人も、世界も、自分も大嫌いだ。こんな文を書いている自分も、これを見て中2だの病んでいるだの言う周りも。みんな、全部。