Diary

日記といいつつ、あったことや思ったことを適当に書いていきます。

幸福度

ドキュメンタリー

というものは、なんのために放送されるのだろうか。

事実、ノンフィクション。記録実録を伝えるため?残すため?

面白そうな命題、夜のTV番組における意義なんて考えてみるのもいいのだけれど、それはさておいて、少し考えさせられるドキュメンタリーを見たので久しぶりに。

余命宣告

生命の終わりにはいくつかの選択肢がある。

終わるとわかっていて終わる死、ある時突然にふりかかり終わる死、誰かによってもたらされ終わる死、そして自分で終わらせる死。

今回見たのは余命半年と宣告された方のドキュメンタリーだったのだけれど、ぼくはそれを見てある台詞を思い出していた。

それは、スペースオペラ銀河英雄伝説」に出てくるナイトハルト・ミュラーが同じく銀河英雄伝説ユリアン・ミンツに語った言葉である。

 

念の為、ネタバレ注意!

それは、不敗の名将ヤン・ウェンリーが暗殺者の凶弾に倒れてから一年後、宇宙暦801年新帝国暦3年のことである。

皇帝ラインハルト不予の報を受け講和に至ったローエングラム朝銀河帝国とイゼルローン共和政府。

皇帝が最早長くないことを医師に告げられたミュラーユリアンにこう言った。

 

 「ヘル・ミンツ、卿と私とは、どちらが幸福なのだろうか。卿らはヤン・ウェンリー元帥が亡くなるまで、そのことを知らなかった。吾々は、陛下が亡くなるについて、心の準備をする期間をあたえられた。

 だが、卿らは哀しみがスタート地点から始まったのに、吾々はまずゴールを迎えて、それからまた心の飢えをみたすために出発しなくてはならない。生き残った者は・・・」

 

あえて述語を省略したミュラーの心は、ユリアンの心に共鳴現象を生じた。そうだ、生き残った者にとって、旅は続く。

いつか死者たちと合流する日まで。飛ぶことを許されず、その日まで歩きつづけなくてはならないのだ。

 

ぼくには母がいない。物心つくかつかないかの頃に、癌で亡くした。

声も、顔も、温もりも思い出せない母の、癌による死。

いつも、おぼろげな記憶の靄の奥に、もっと生きたいと泣いていた母の姿がうっすらと見える。

ぼくの記憶は音声ではなく、文字と絵によって残されている。頭の中に、こんなことを言っていた、というだけの記憶。

 

この前、伊藤計劃さんの文章を引用してフィクションを残すことの意味を書いたと思うのだけれど、きっとそれと似たようなことなのだろう。

名前も知らないだれかの、記憶の片隅にでも残りたい。そう叫んでいるのではないか。

ドキュメンタリーを見る度にぼくはそう思ってしまう。

全くそういう意思はないにしても。

 

ボヘミアン・ラプソディで描かれたフレディ・マーキュリーの伝説。

アイルトン・セナで語られるセナの葛藤。

This is ITで映されるマイケル・ジャクソンの歌声。

 

本人が作ったものではなくとも、本人が記憶に残り、記録に残り続ける。

ドキュメンタリーとは記録を記憶に残すためのツールである。

ぼくは、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックを見た時、思わず声を出して感嘆してしまった。

残されるべき誰かの物語を語る。それがドキュメンタリーの意義だ。

ぼくは、そう思う。

 

QUEEN

最近、QUEENにどハマりしている。というのも、父がボヘミアン・ラプソディの影響でCDやらライブ映像やらを大量に垂れ流しているからで、ぼくの耳にもそれが入ってきてしまったからだ。

 

一方、ぼくはアイドルマスターが大好きなのだけれど、なかでも響(cv:沼倉愛美)が大好きなもので、ソシャゲのイベントを見返していた。そんな中に、アイドルとして初心を思い出すという場面があった。

アイドルになったのは、ファンに楽しさを、嬉しさを、元気を、感動を届けるため。手段と目的の逆転に気づいた。そんな話だった。

その中で、伝説を目指して・・・というセリフがあったのだけれども、アイドルとしての伝説とは一体なんだろうか、と考えた時に、ひとつの最適解が思い浮かんだ。

近藤真彦西城秀樹モー娘。やAKBではない。

 

伝説。それこそが、QUEEN

 

85年のリオ、そしてウェンブリー。

全世界を揺るがす偶像としてのQUEENは、まさに彼女たちが目指すアイドルの形。

会場と一体になったRADIO GA GAやWe will rock youの迫力。

フレディ・マーキュリーのパフォーマンスは、30余年の時を超えボヘミアン・ラプソディのタイトルの元に再び脚光を浴びる。

これこそが、最高到達点ではないだろうか。

世界中に歌とパフォーマンスを届け、新しいことに挑戦し続け、死後も語り継がれる。

We will rock youを聞いた事がない人が果たしてどれだけいるだろうか。

We are the Championの旋律を聞いたことの無い人がどれだけいるだろうか。

ボヘミアン・ラプソディの公開により、さらにその伝説は不動のものとなる。

プライベート・ライアンブラックホーク・ダウンが21世紀の戦争映画を規定したように。

インディ・ジョーンズや007、ターミネーターHalloweenが不朽の名作として語り継がれるように。

音楽CDや映画は、YouTubeや誰かの持つデータドライヴにあるよりもパブリックなメディアとして世に残り続ける。

もしも、彼女たちがその域にたどり着いたら、ぼくはきっとこう言うだろう。

 

「アイドルって凄いんだよ」