Diary

日記といいつつ、あったことや思ったことを適当に書いていきます。

栄華と繁栄

喧騒と静寂の世界に

彼らが目を覚ましたとき、世界を救った英雄は誰だったのだろうか。

Fate/Grand Order

におけるカルデアとマスターの繁栄とはすなわち、数多のサーヴァントと契約し七つの特異点と魔神撃破による人理焼却の阻止、すなわち人理修復(Grand Order)完遂とそれに付随する4つの亜種特異点・並行世界にある魔神柱と剪定事象の対処完遂である。それを行ったという結果こそが彼らの繁栄と実績を保証する。

どんなに辛い出来事が起ころうと、絶望に突き落とされようと、そこには希望があった。数々の、自分たちに手を貸してくれた英霊がいた。

第一部、人理修復と特異点群のいわばお祭り騒ぎのような喧騒はしかし、第二部の序章にはない。

ネタバレ注意!

一応、ネタバレをいうつもりは無いのだけれど、気づかないうちになっていたら困るので念の為。

12月26日

人理修復から1年、亜種特異点も攻略し楽しいクリスマスも終わり、目が覚めると静かなカルデア。いつもと違う、痛いくらいの静寂が支配する。レオナルド・ダ・ヴィンチに話を聞きに行くと、カルデアの総入れ替えによってサーヴァントたちは退去、職員も栄転。翌日に姿を現す新所長と謎の人物、そしてエセ神父言峰綺礼

独房に拘束される主人公。中には共にレオナルド、後輩マシュ、そして職員が1人。それ以外の登場人物といえば、上にあげた新所長率いる者達とカルデア職員数名、フォウくんとあと一人なものだ。

第一部とは対照的に、徹底的に序章はカルデア内、閉ざされた空間で描かれる。変わらない登場人物、諦観にも似た雰囲気が支配するカルデア。そこに、今までのような希望はなかった。不安はあっても、諦めはあっても。

バトルもない。ただ淡々と進む話に取り残される主人公。そして突きつけられる"戦うことのなかったマスターたち"の物語。当然だ。彼らは昏睡し、主人公は生きて戦い抜いた。それだけのことだ。しかし、主人公は割り切ることは出来ないだろう。ぼくたちがどう思うかに関係なく、シナリオに沿って反応する。やがて物語は進み、結果論としてカルデアは重罪人となる。第一部の人理修復が違法だったから。数々のサーヴァントと契約したこと。過去改竄を可能とする許可が降りなければ行ってはいけない禁忌レイシフトを多用したこと。救われた人間達はしかし、救世主を崇めたりはしなかった。当然だ。自分たちより下にいる(見ていた)人間が想像を超える偉業を成し遂げたことを認めるより、その結果を見てこんなことをしたんだと見つける方がよっぽどプライドが傷つかない。この話は、ぼくらが考えていたカルデアの、主人公の物語を根本から揺るがすだけでなく、いやおうなく現在のぼくらの社会制度を照らし出す。

結局のところ

実力主義だの給料だのブラック企業ホワイト企業なんて言っておきながら、人は物事の一側面しか見ない。結果がこれだ。カルデアに、人理修復に寄り添ってきたぼくらは世界を救うためにと戦い、そして共に戦ったからこそサーヴァントたちと絆を結び、楽しい日々を過ごした。しかしそれは、自制をと規律の遵守をその第一要件とする魔術社会にあって禁忌であり、それの容認は法治主義現代社会において戦争だから、超法規的措置だと国家総動員を、弾圧を行う行為と何ら変わりない。

一方魔術協会側は、法令と規則に囚われるあまり人理焼却の事実を認めはしても修復を成し遂げたカルデアをもはや恐怖や弾圧の対象として扱う。かつてのジャンヌ・ダルク源義経を排斥したフランス、源頼朝と何が違うのだろうか。

双方に非はあれど、ぼくらは人理修復を成し遂げた故にカルデアに思い入れが深く、だからこそ彼らのやり方に怒りを覚える。

とにかく

嫌な物語なのだ。序章は。嫌、というか「嫌な予感」が覆っているというか。何故それが予感なのかというと、それはぼく達現実にとっても未来は、到来する世界は予感としてしか接することが出来ない、経験することが出来ないからだ。

クリアで貰える概念礼装、Lost room。暗く静かなカルデアに一人、クリスマスの名残、サンタの帽子を手に佇むマシュ。ここからもすでに、それは漂い始めている。これがなんなのか、ぼくはまだわからない。ただ、嫌な予感がすることだけはわかる。

 

書き終わってみると、これ、全部書いてるからモロネタバレじゃーん。あ、でも彼の名前だけは出してないからいいか。